【観光地を世界遺産として楽しむ】
こんにちは、朝型旅人です!
この記事では「百舌鳥・古市」の見どころと、世界遺産としての価値をわかりやすく解説!
読み終わるころには、ただの観光地じゃない「百舌鳥・古市」の魅力にハマっているはずです。
🛖観光地としての百舌鳥・古市🛖
大阪府にある「百舌鳥・古市古墳群」は、巨大古墳が密集する日本でも特異なエリアです。
中でも一番注目されるのは、堺市にある大仙古墳ですよね。知名度ナンバーワン。
濠を含めた全長は840mで、世界三大墳墓にも数えられてます。
形は皆さんご存じ前方後円墳です。中学校あたりで習いましたね。
ちなみに、世界三大墳墓は大仙古墳の他に
クフ王のピラミッド、始皇帝陵です。そのうち記事にします。気長にお待ちください。
現地では、堺市博物館で古墳の歴史や構造を学べるほか、
堺市役所から大仙古墳を眺めたり、周囲の遊歩道を散策することもできちゃいます。
古墳型のスイーツやグッズも人気。
ここだけでも観光要素てんこ盛りですね。さすが大阪。
日本で二番目の大きさを誇る前方後円墳、応神天皇陵古墳も見どころ。ガイドツアーや古墳にちなんだまちづくりも進められてて、地域ぐるみで古墳文化を楽しませにきています。

推定では20,000本以上の円筒埴輪が並べられていたとされてます。怖っ。
こんだけ大きなお墓でも肝試しとかしたら怖いんですかね。
まぁ入ることはできないんですけど笑。
🛖世界遺産としての百舌鳥・古市🛖
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」は2019年に登録された文化遺産です。
結構新しめですね。大きくて目立つのに。
登録基準はⅲ、ⅳ。ざっくり説明すると、
- 古墳時代の文化を物語っているね!
- 日本独自の墳墓形式だし、葬送儀礼としてデザインされているね!
です。古墳時代の遺跡だから世界遺産登録された可能性ありますね。時代のバランスをとるために。詳しくはグローバル・ストラテジーって用語説明を見てください。
今回紹介する世界遺産としての「百舌鳥・古市古墳群」の特徴は以下の通り。
一つずつ説明していきます。
大仙古墳の正式な名前は何なのか?
学校で前方後円墳を習ったときに写真で使われていたのが大阪府堺市にある「大仙古墳」です。
この正式な名前、結構長いんです。

「仁徳天皇陵古墳」っていうんですよ。
「仁徳天皇を葬っている」“陵墓(りょうぼ)”です。管理しているのは宮内庁。
突然ですがみなさん、「陵」と「古墳」の意味って分かりますか?
実は、
「陵」は天皇や皇族などの埋葬者が確定している場合に用いられる言葉で、
「古墳」は誰が葬られているかが確定していないものに使われます。
ここで不思議なのは、どうして大仙古墳は「仁徳天皇陵古墳」なのかってこと。
さっきの意味を踏まえると「陵」と「古墳」が両方入るはずがないんです。どっちなんだい。
実はですね、この矛盾は宮内庁と考古学者による折衷案なんですよ。
宮内庁は、仁徳天皇が眠っている!って主張して
考古学者は、「いや、被葬者が誰か分かってないよね?」って主張してます。
んで両者引く姿勢を見せないから「仁徳天皇陵古墳」って言葉でまとまっているのが現状です。
正直、さっさと古墳の中確認すればいいのにと思ったんですけど、
まぁ宮内庁の立場とか保存上の問題とか考えたらやっぱり難しいのかな…
ちなみに、この古墳の規模は、前方後円墳としては国内最大級。天皇が眠っておられてもおかしくはない規模感ですね。空から見ないとその全体像はなかなかイメージできません。
曖昧な部分が多い遺産なんですよね、謎が多いというか。
世界遺産委員会によって詳細な情報を求められるかもしれませんね。
まぁ私的には、「仁徳天皇陵古墳」は「大仙古墳」ともいうので、
若干「古墳」優勢です笑。
破壊された幻の巨大墳墓
古墳ってまぁ要は大規模なお墓を指すから、歴史上も大事にされていたと思いがちですが、過去には意図的に破壊された古墳もあるんですよ。
その代表例が市庭古墳(いちにわこふん)。市庭古墳は5世紀前半に築造されたとされている大きさ250m(推定)の巨大墳墓です。

市庭古墳は、藤原京から平城京へ遷都した時代に築かれた政庁施設のすぐ近くにあったとされている古墳です。平城京遷都に伴って破壊されました。現在は前方後円墳の後円部分のみが残る格好になっています。
実際の被葬者は明らかになってないんですけど、一応平城天皇の陵墓として扱われています。ただ、この扱いに対しては否定的な意見が多いんです。だって平城天皇って平安時代の人ですよ?市庭古墳ができたのは5世紀とみられています。時系列に矛盾が生じてるんですよ。
今も昔も、天皇が絡むお墓問題はさまざまな立場とか権力とかが働いて複雑化しているんですね。
また、近代以降の開発でも多くの古墳が破壊されたんです。鉄道や道路の建設、都市化に伴って失われた古墳も多く、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録された背景には、こうした過去の破壊の歴史への反省も込められてるんでしょうね。
ただ、世界遺産に登録されたからもう安心ってわけではないんです。古墳は何もしなくても雑木の成長、周濠の浸食などが発生するので、きちんとお金をかけて管理をしないと崩壊してしまうんです。
いまだ古墳には問題も謎もてんこ盛り。
それがこの遺産の長所であり短所でもあるところですね。
天皇に関連する古墳をより近くで感じる裏ワザ!

これが天皇陵のスタイルなんです。
先ほど、陵墓は宮内庁が管理していて入ることができないと書きましたね。
じゃあ天皇に関連する古墳は見ることはできないのかと。
そんな方に朗報です。陪塚(ばいちょう)なら間近で見ることができるんですよ!
…まぁいきなり陪塚とか言われても意味不明ですよね笑。
陪塚は天皇や皇族の陵のまわりにつくられた従者や縁者の墓のことです。
天皇そのものの墓ではないけど、深い関係性を持った者が眠っている墓ということです。
陵は宮内庁が厳しく管理していますが、陪塚なら稀に抜け道のあるものもあります。
たとえば、孫太夫山古墳。読みは「まごだゆうやまこふん」です。難しい。
ここはあの仁徳天皇陵古墳の陪塚とされているお墓です。
孫大夫山古墳の特徴は一部は宮内庁が管理していて、一部は堺市が管理しているところです。発見された陵墓の一部が復元されたため、復元部分は堺市が管理することになりました。
孫大夫山古墳は仁徳天皇陵古墳と比べて、
- 間近で見ることができる(フェンスがない)
- 「古墳群」として楽しめる(小規模で、周囲にある他の古墳と一緒に観察可能)
- 写真撮影がしやすい(遮蔽物が少ない)
つまり孫大夫山古墳は、実際には入ることのできない仁徳天皇陵古墳に片足突っ込んでいるようなもんなんです。これを知ってから行くと孫大夫山古墳がすごくありがたい古墳に感じてきます。
普段は入ることのできない陵墓に入っているような感覚で陪塚に足を運べば、”古墳観光”の楽しみが1つ増えると思いますよ。
まとめ
古代日本の王たちが眠る「百舌鳥・古市古墳群」は、ただの巨大なお墓ではありません。
その築造には、権力の象徴・死者への信仰・そして人々の営みが凝縮されています。
仁徳天皇陵古墳を中心に、時代を超えて守られてきた墳墓群は、日本人の「祈り」の形を今に伝えています。
世界遺産登録によって保存が進んだ一方で、内部の調査や公開にはいまだに多くの課題が残っています。しかし、そんな「謎」こそがこの遺産の最大の魅力。
大地に残る巨大な鍵穴の形に、古代の権力者たちの思いと、日本人の死生観を重ねてみると、
百舌鳥・古市は“未解明の古代を歩く旅先”として、新しい発見をくれますよ。
ここまでご覧いただきありがとうございました。またおいでくだされ。

