日本遺産検定3級|実践模擬問題【解答解説】

にほけん

日本遺産検定対策
こんにちは、朝型旅人です。

この記事は、【3級・実践問題編・解答解説】です。
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3級・実践問題編【問題】

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日本遺産検定3級模擬【実践問題】_解答

解説【全35問】

今回の正答数が21問以上なら合格圏内です。

本記事では、公式問題集に倣い、「正答」の理解を深める解説に絞っています。誤答選択肢の説明が中心だった【応用問題編】の解説が好みの方は、ぜひ記事下の感想欄でお知らせください!

Q1.出雲には「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(出雲大社)と「日沉宮(ひしずみのみや)」(日御碕神社)が祀られています。「天日隅宮」は稲佐の浜(薗の長浜)に、「日沉宮」は日御碕にそれぞれありますが、どちらも夕日にちなんだ神社という点で共通しています。出雲は古来より「日が沈む海の彼方の異界につながる地」として認識されていたこともあり、夕刻に対して格別な思い入れがあります。この思い入れは、「こんにちは」と「こんばんは」を結ぶ出雲ならではの挨拶からも垣間見えます。その挨拶は何でしょうか?

a.おいでんさい
b.おひさまさあ
c.ばんじまして

日の沈む聖地出雲」からの出題。
 政権の中心(大和)から見て太陽が沈む方角にあった出雲は、「黄泉国へつながる異界の地」と認識され、神話にそのイメージが反映されました。夕日を神の創造物と感じた人々は、今も夕暮れに「ばんじまして」と使用します。

Q2.天然の防波堤として使われた「かもめ島」があることで知られる江差には、ハネダシと呼ばれる蔵がいまも残されています。旅行家、地理学者である古川古松軒(ふるかわこしょうけん)が、「江差のまち並みは端しまでも貧家がなく、浜辺にも蔵が建ち並んでいる。江戸を出てから建物・人物・言語など江差ほど良い場所はない」と残したほどの江差は、何の漁によって繁栄したでしょうか?

a.ニシン
b.マグロ
c.サンマ

江差の五月は江戸にもない」からの出題。
 江差はニシン漁とその交易で繁栄し、江戸時代後期には「江戸を出てから江差ほど良い場所はない」と評されました。ニシン加工品を求めて船が集まる旧暦5月の賑わいは「江差の五月は江戸にもない」と謳われ、その繁栄は今も町並みに色濃く残っています。

Q3.「ドッコイショ」が転化したものともいわれる「デカンショ」は、江戸時代の盆踊り唄を起源としてデカンショ節として歌い継がれています。兵庫県丹波篠山(たんばささやま)のデカンショ節は2025年12月時点で何番以上まであるでしょうか?

a.100
b.200
c.300

丹波篠山デカンショ節」からの出題。
 毎年8月15・16日に篠山城跡で行われるデカンショ祭は、誰もが気軽に踊れる親しみやすい祭りです。デカンショ節は、地元での継承活動により、世代を超えた「ハレの場」となっています。人々は300番を超える歌詞に新たな時代を投影し、ふるさとの文化を歌い継いでいます。

Q4.源頼朝によって幕府が開いてから、鎌倉は発展しました。江戸時代以降も、その知名度や気候の良さから別荘地としての人気が高まりましたが、特にこの地を別荘地として住み、文芸活動を行った人々のことを何と呼ぶでしょうか?

a.鎌倉文士
b.鎌倉御家人
c.湘南詩人

いざ、鎌倉」からの出題。
 別荘地として発展した鎌倉には、白樺派や川端康成ら多くの「鎌倉文士」が集いました。彼らは古都の趣に憧憬を抱き、作品に鎌倉を描きました。彼らが市民と共に鶴岡八幡宮裏山の開発に反対した「御谷騒動」は、古都保存法の制定につながり、鎌倉特有の景観を守る象徴的な出来事となるに至りました。

Q5.富山県高岡は、穀倉地帯を備え、港も持っていたことから「○○」と呼ばれた。○に入る語句は何か。

a.加賀藩の客間
b.加賀藩の奥の間
c.加賀藩の台所

加賀前田藩ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡」からの出題。
 高岡は、藩の保護と町民の努力により、鋳物業(鉄器・銅器)で発展しました。北前船交易で販路を広げ、海外貿易にも着手。一方、伏木港は砺波・射水両郡の年貢米輸送の拠点として重要性を増し、西廻り航路開拓後は廻船問屋も現れ、「加賀藩の台所」として隆盛を極めました。

Q6.2025年現在、東京で唯一の日本遺産である高尾山が位置する八王子市は、かつて絹産業に注力し、甲州道中最大の宿場町となりました。この繁栄により、八王子は何と称されたでしょうか?

a.絹都
b.甲州都
c.桑都

霊気満山 高尾山」からの出題。
 北条氏照が整備した滝山城下町の市は、八王子城下、さらには八王子宿に引き継がれ、まちの礎となりました。八王子宿は、絹産業を基盤に発展し、生糸の集積地として「絹の道」で横浜と結ばれました。この伝統が「桑都」と呼ばれる現代の八王子の産業の核となっています。

Q7.近世のはじめに領主がその地を去ったため、近世の城下町として再開発されることなく、中世日本の景観を今に残しているまちはどこでしょうか?

a.山口県萩市
b.島根県益田市
c.鳥取県倉吉市

中世日本の傑作 益田を味わう」からの出題。
 領主益田氏が江戸時代初めに益田を去ったため、益田は近世の城下町として再開発されず、中世の町並みがそのまま残りました。そのため、地形や古代の遺構を活かして築かれた、直線と曲線が入り交じる独特の街路が現在も伝わっています。益田は、全国で最も中世の遺産が伝わる傑作のまちと評価されています。

Q8.初代は天照大神の御杖代であった豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)である、人と神との架け橋として、神へ祈りを捧げる未婚女性のことを何と呼ぶでしょうか?

a.巫女
b.斎王
c.法王

祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」からの出題。
 斎王は、約660年間、国の平安と繁栄を祈り、都を離れて伊勢神宮の天照大神に仕えた特別な皇族女性です。斎王が暮らした地が、伊勢神宮でも都でもない三重県多気郡明和町の斎宮(さいくう)です。慎ましさと雅やかさが共存する、日本で唯一の独特な世界があります。

Q9.大山詣り(おおやままいり)は大山寺に祀られる「不動明王」と大山山頂に祀られる「石尊大権現」の霊験を広めることから始まったもので、参詣に際して太刀を奉納するという他に類を見ない参拝でした。この参拝を何というでしょうか?

a.登拝
b.庶民参拝
c.貴族参拝

江戸庶民の信仰と行楽の地」からの出題。
 関東一円から見える大山への参拝(大山詣り)は、7日を要し関所を通る富士詣りに対し、3〜4日程度の小旅行でした。この距離的な利便性、御師の布教などにより、大山詣りは気軽な信仰と行楽を兼ねたものとして最盛期には関東一円に広がり隆盛しました。

Q10.「絞り」とは古代から伝わる染色の技法で、その絞り染めは将軍に献上される高級品として丁寧に扱われてきました。その絞り技法を世界で一番有しているまちは愛知県のどこでしょうか?

a.名古屋
b.西陣
c.有松

江戸時代の情緒に触れる絞りの産地」からの出題。
 「絞り」は、布を縛って染色し白地を残す古代からの染めの技法です。図案選定から仕上げまで7工程が分業で営まれます。有松は世界一技法の多い産地で、江戸時代は尾張藩の庇護で将軍献上品として栄えました。明治の衰退から復興し、絞り産業は鉄道駅の設置や学校開設など地域の発展を支えました。

Q11.広島県にある尾道は、瀬戸内海随一の良港を有していたこともあって、人や財などが集中していました。限られた空間に数多の寺社、住宅があることからも尾道は狭小空間に展開する巨大石造物だとも言えます。この尾道の繁栄を支えた尾道水道は、何と呼ばれているでしょうか?

a.海の川
b.潮の川
c.川の海

尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」からの出題。
 尾道水道は、尾道と向島を隔てる幅狭な「海の川」として中世から重要な交通路となり、尾道を人・もの・財が集まる港町へと発展させました。尾道三山と水道に挟まれた狭小な土地に、多くの寺社と家々が密集して建てられたことで、坂道と路地が続き、山腹から水際まで建物が迫る独特な景観が形成されました。

Q12.約4000年前に島根県大田市の三瓶山で起こった噴火は縄文時代の木々を埋没させ、当時の姿を現代に残しました。約1500万年前に起きた海底火山の噴火では、大田の地に緑の岩(凝灰岩)の地層をもたらし、豊かな鉱物資源を残しました。この地層のことを何と呼ぶでしょうか?

a.グリーンロック
b.グリーンタフ
c.グリーンベース

石見の火山が伝える悠久の歴史」からの出題。
 約1500万年前の海底火山噴火により、この地にはグリーンタフ(緑の凝灰岩)の地層が形成されました。この地層は、鉱工業を支える資源となり、切り出された福光石は石垣や階段に利用されました。また、凝灰岩の奇岩(鬼岩、立神岩)や珪化木など、火山の活動の軌跡が今も大田市に息づいています。

Q13.塩田平にある北向観音堂は、善光寺と「両参り」するとご利益が増すとされています。また、ここの境内の手水はある温泉が使われています。それはどこの温泉でしょうか?

a.別所温泉
b.野沢温泉
c.渋温泉

レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」」からの出題。
 北向観音堂は、善光寺との両参りで御利益が増すとされます。境内の手水にも温泉が使われ、湯煙と温泉の匂いが漂うこの地は、古くから僧たちにとって「特別な場所(別所)」と認識されてきました。塩田平を見渡せる景観と、湯煙の中で花開いた仏教文化の遺産が、訪れる人々に癒しをもたらしています。

Q14.長野県千曲市は月にゆかりのある場所です。棄老物語の舞台でもあり、月にまつわるたくさんの歌碑、句碑が建てられています。また、この地では大小さまざまな棚田に月が映りこむ景色が見られますが、この光景は何と呼ばれているでしょうか?

a.月夜棚田
b.田毎の月
c.鏡月の月

月の都 千曲」からの出題。
 月下旬の田植え前後、水が張られた大小の棚田に月が映る光景は、この地域ならではの「田毎の月」と呼ばれます。江戸時代の歌川広重が浮世絵に描き、そのイメージが広まりました。実際は、畔道を歩きながら目を移すことで、次々に田ごとに映る月影を見ることができます。

Q15.明治維新の後、日本最大の養蚕群を建設した松ヶ丘開墾場は「ジャパンシルク源流の地」とも呼ばれています。ここは養蚕から絹織物までの一貫工程を残す国内唯一の場所であり、その工程を無形の文化遺産として現代に継承する唯一の場所でもあります。このような特徴を持つ松ヶ丘開墾場のある庄内地域は山形県の何市を中心としているでしょうか?

a.米沢
b.酒田
c.鶴岡

サムライゆかりのシルク」からの出題。
 日本の近代化を産業面から牽引した絹産業は、旧庄内藩士が荒野を開拓し、国内最北限の絹産地となった鶴岡市を中心とする庄内地域で発展しました。国内の絹産業が衰退する中でも、この地域は百数十年を経た現在も、養蚕から絹織物の製品化まで一貫した工程が残る国内唯一の地となっています。

Q16.「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」で知られる織田信長ですが、戦上手な一方で文化人の面も有していました。戦うための岐阜城に「魅せる」独創性を加えて、来訪者のための「おもてなし」の空間を作り上げました。信長公の「おもてなし」はとても手厚く堺の茶人、商人である津田宋及のためだけの茶会を開くほどでした。このように「おもてなし」の心を持っていた織田信長が城内に築き上げた宮殿はなんと称されたでしょうか?

a.地上の楽園
b.天上の楽園
c.最上の楽園

「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」からの出題。
 山麓居館は、訪問者が最初に招かれるもてなしの拠点でした。信長は、津田宗及のために美濃特産の干柿を含む豪華な茶会を開き、息子に給仕をさせ、自ら飯をよそるなど破格の待遇をしました。信長は、建物・庭の見学や食事、贈り物を通じて訪問者の思いに応えていたのです。

Q17.近世港湾に必要とされた五つの施設は、「常夜燈」、「雁木」、「波止」、「船番所跡」、「焚場跡」です。日本最大級の大きさの常夜燈を有し、五つの施設がまとまって現存する国内唯一の港町はどこでしょうか?

a.山口県下関市
b.大阪府堺市
c.広島県福山市

瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町」からの出題。
 海に面した階段状の「雁木(がんぎ)」は、最大24段、全長約150mあり、最大4mの潮の満ち引きに関わらず荷揚げができる船着場でした。国内最大級の防波堤「波止」や「常夜燈」と並び、船番所跡や焚場跡を加えて、近世港湾に必要とされた5つの施設がすべて揃っているのは、現在では鞆の浦だけです。

Q18.「日本第一」の塩を産した播州赤穗は浅野赤穗藩の初代藩主である浅野長直の開拓によって急激に成長しました。彼の開拓した新式製塩法を何と呼ぶでしょうか?

a.揚浜塩田
b.入浜塩田
c.流下式塩田

「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂」からの出題。
 入浜塩田は、干潟を防潮堤で囲い、干満中間の高さに地盤を造成して造られました。防潮堤内の区画を「うつろ」と呼び、その間に「水尾」という水路が張り巡らされました。これは海水の導入と運河の役割を果たし、干満に関わらず効率的な作業を可能にする画期的なシステムでした。江戸時代に確立されたこの製塩法は、約300年間日本の主要な製塩法となりました。

Q19.弥生時代、小松の人々は滝ケ原などで産出される碧玉を原料として玉づくりを開始し、その後も2300年にわたって石の資源を見出してきました。碧玉が当時の王を魅了したのは、日本の人々が権力の象徴として「○」への憧れがあったことが一因とされています。○に入る語句は何でしょうか?

a.緑
b.青
c.赤

『珠玉と歩む物語』小松」からの出題。
 弥生時代、「緑の玉」への憧れから、日本では朝鮮半島から伝わった碧玉の国産化が始まりました。小松では、良質な碧玉が豊富に採れ、最先端の加工技術により、石鋸・砥石・メノウ製石針を駆使して、復刻困難な精巧な管玉が作られました。この管玉は、日本海沿岸交易で九州の王たちに届けられ、後にその技術は東へ伝わりました。

Q20.上級貴族である九条家の領地だった日根荘では、16世紀、旱魃(かんばつ)に悩まされました。人々は滝宮(火走神社)で雨乞いを行いましたが、それでも雨が降らないときは犬鳴山七宝龍寺で神事を行いました。今でも続いているその神事は何というでしょうか?

a.おたうえ
b.ごまだき
c.おひたき

旅引付と二枚の絵図が伝えるまち」からの出題。
 旱ばつに悩む大木村の人々は、滝宮(火走神社)で雨乞いの儀式を行いました。ここで奉納された雨喜の能は、当時の都の能に恥じないものだと称賛されています。火走神社でも雨が降らない場合は、犬鳴山七宝瀧寺で神事を行いました。この雨乞いの伝統は、現在も守護感謝の神事(おひたき)として継承されています。

Q21.和歌山県の湯浅町にある建物は二階の窓、壁を漆喰で囲まれ、虫籠窓や袖壁といった工夫がみられます。また、一階の窓には木製の格子が使われています。このような防火構造は紀州湯浅発祥のあるものの「火入れ」作業に伴って行われたものです。ここで醸造されている調味料は何でしょうか?

a.酢
b.味噌
c.醤油

「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」からの出題。
 港町・陸路の要衝として栄えた湯浅は、広い『通り』と迷路のような『小路』で町場が形成されました。醤油醸造業で発展した町並みは、重厚な本瓦葺きや幕板といった地域性を反映。火災を恐れて、2階には漆喰で塗り固めた防火構造、1階には機能的な格子窓が見られ、温暖多雨な気候での暮らしと醸造業の特徴を表しています。

Q22.安政元(1854)年に発生した安政津波への対策として、和歌山県広川町では、土盛りの堤防、沖の突堤などの多重防御システムを構築しています。広川町は災害の記憶を繋ぐため石碑を建てるなど防災遺産として息づいています。この安政津波にちなんで、国連で「世界津波の日」が制定されました。それは何月何日でしょうか?

a.12月5日
b.11月5日
c.10月5日

「百世の安堵」」からの出題。
 安政元年(1854年)11月5日の大地震と津波の際、濱口梧陵は田の稲むらに火を放ち、暗闇で逃げ遅れた村人たちを高台の寺社へ導き、多くの命を救いました。その後、寺社と協力して避難民を支援し、復興に尽力。この出来事は、小泉八雲により「生ける神」として世界に、そして「稲むらの火」として教科書に伝えられました。

Q23.綿やイ草などの換金作物を盛んに生産してきた岡山県倉敷は、年間出荷額一位の「○○のまち」として知られている。○に入る語句は何か。

a.繊維
b.碧玉
c.ワイン

一輪の綿花から始まる倉敷物語」からの出題。
 明治時代、政府の殖産興業のもと、倉敷では国内初の民間紡績所が開業しました。また、イ草から生まれた高級花莚(錦莞莚)は輸出で成功。伝統技術は学生服の生産に展開し、最盛期には全国の9割を占めました。戦後は国産ジーンズ発祥の地となり、最新技術と伝統を融合させ、「日本一の繊維のまち」として発展しました。

Q24.忍城の城下町として発展し、多種多様な倉庫が現存する行田は、最盛期には全国シェアの約八割を誇った「○○のまち」である。○に入る語句は何か。

a.手ぬぐい
b.腹巻
c.足袋

和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」からの出題。
 行田の足袋商店は、問屋を通さず、地域単位で独占的な販売網を協調して築き、販路を全国・海外へ拡大しました。老若男女が足袋づくりに励んだ結果、最盛期の昭和13〜14年には全国の約8割を生産する日本一の産地となり、「足袋の行田か行田の足袋か」と謳われるまちになりました。

Q25.木工技術者を都へ送ることで庸、調などの税を免れる飛騨工制度は全国で高山でしか行われませんでした。この制度適用の際には、年間約何人の匠工(木工技術者)を都へ派遣したでしょうか?

a.100人
b.1,000人
c.10,000人

飛騨匠の技・こころ」からの出題。
 飛騨工制度は、古代の租税制度において、飛騨国一国のみに適用された特別な制度です。養老2年(718年)制定の養老令賦役令に基づき、飛騨国は庸や調といった税の代わりに、年間約100人の匠丁(技術者)を都へ派遣することが義務付けられました。この派遣された技術者が飛騨工です。

Q26.熊本県八代市は古代より石材を活用したまちづくりを行ってきました。明治時代から全国的に石造建築物の需要が高まったなか、八代の石工たちが全国各地で「めがね橋」を架橋させたため、八代は何と呼ばれるようになったでしょうか?

a.石工の郷
b.めがねの郷
c.石の郷

八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡」からの出題。
 明治以降、風水害に強い石造建築物の需要が高まる中、八代(やつしろ)の石工たちは、「橋本勘五郎」に代表されるように、「通潤橋」など日本各地のめがね橋の架橋に活躍し、日本の近代化を支えました。八代では江戸末期から昭和初期に90基以上の橋が架けられ、約4分の1のめがね橋に八代の石工が携わったと伝えられ、「石工の郷」と呼ばれています。

Q27.群馬県館林市は、沼によって人々の文化が育まれた場所である。各沼には特色があり、館林城をぐるりと取り囲む「城沼」は特に「○○」と呼ばれた。○に入る語句は何か。

a.実りの沼
b.祈りの沼
c.守りの沼

里沼(SATO-NUMA)」からの出題。
 550年前に築かれた館林城は、周囲5㎞の城沼を天然の外堀(守りの沼)とする堅固な要害でした。近世には徳川綱吉の城となり城下町が整備されました。この沼には龍神伝説や、つつじを植えて大名庭園となった躑躅ヶ崎(つつじがさき)の伝説があります。明治以降、守りの沼は里人に開放され「里沼」となりました。

Q28.海外の人々による日本のイメージカラーは圧倒的に赤といわれています。それは九谷焼、伊万里焼などの特徴からも見て取れます。これらの工芸品を彩った赤色顔料「弁柄」の産地はどこでしょうか?

a.有田
b.吹屋
c.久谷

「ジャパンレッド」発祥の地」からの出題。
 海外の日本イメージカラーとされる「赤」は、古来より神聖なるものを象徴しました。九谷焼や輪島塗などに使われたのが、備中吹屋産の赤色顔料「弁柄(べんがら)」です。銅鉱石が原料で、吹屋は江戸中期から弁柄製造に着手し、全国市場を独占しました。この弁柄の赤が、遠く欧米で「ジャパンレッド」として認識されるに至りました。

Q29.栃木県宇都宮市は、採石産業で発展しました。宇都宮で採掘されたのは大谷石で、最盛期には年間89万トンを出荷するほどの勢いを見せました。農村部では田園と大谷石とが一体となった景観が見られ、玄関先ではある願いをこめて石造りの蛙が置かれています。その願いとは何でしょうか?

a.福カエル
b.若ガエル
c.無事カエル

地下迷宮の秘密を探るたび」からの出題。
 宇都宮の農村部では、田園と大谷石が一体となった素朴な景観が広がっています。30棟以上の石蔵が集まる集落では、掘り跡の石壁や大谷石の石屋根が見られます。かつて石工の家では、石造りのカエルが「無事カエル」主人を出迎えるなど、神社の鳥居からポンプ小屋まで、大谷石が人々の暮らしの中で自由自在に姿を変えて利用されています。

Q30.町全体がさながら木彫刻の美術館ともとれる井波の彫刻は、瑞泉寺の再建から始まった彫刻です。この彫刻はある世界遺産にも彫り込まれていますが、それはどこでしょうか?

a.白川郷・五箇山の合掌造り集落
b.古都京都の文化財
c.琉球王国のグスク及び関連遺産群

宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」からの出題。
 瑞泉寺の背後の八乙女山を越えた先にある五箇山の合掌造り集落にも、井波彫刻は根付いています。家々には欄間や天神様・獅子頭が置かれ、寺社の仕切りや持ち送りにも素朴で力強い彫刻が見られます。この地で代々伝わる獅子舞は、井波彫刻の獅子頭を用いて、豊年を願い、収穫に感謝して勇壮に舞われます。

Q31.新潟県の十日町市は世界有数の豪雪地帯として知られています。そのため十日町の人々は雪と共生した「ものがたり」を育んできました。「着ものがたり」に該当する、「青苧(あおそ)」を材料とした麻織物にさらなる改良を加えて完成した特産品は何でしょうか?

a.西陣織
b.越後縮
c.大島紬

究極の雪国とおかまち」からの出題。
 越後では古代からカラムシ製の越後布が作られ、戦国時代は上杉氏の重要な戦費財源でした。江戸時代に改良された越後縮は将軍家でも愛用され、縮市が栄えました。織りには冬の高い湿度が適し、布を漂白する「雪晒し」には春の豪雪地が必要でした。これらは豪雪地の地域性を生かしたブランド品でした。

Q32.源頼朝の家来である大久保左馬之祐(おおくぼさまのすけ)が、祈願のため三徳山参詣へ行く途中に見つけた白い狼を逃がしたことから見つかったとされている温泉はどこ?

a.皆生温泉
b.三朝温泉
c.湯原温泉

六根清浄と六感治癒の地」からの出題。
 三朝温泉には、源義朝の家来が白狼を見逃した礼に、妙見菩薩が楠の根元の源泉を教えたという「白狼伝説」が残ります。この湯は「万病を癒やす湯」として現代に伝わります。かつて神像を落として悪霊の湯と恐れられましたが、三徳山で悪霊を鎮め、薬師如来を守護仏としたことで、再び湯治客が絶えない「癒やしの湯」となりました。

Q33.津和野の亀井家14代目当主である亀井玆常(これつね)が栗本里治に製作を依頼して作られたのが「津和野百景図」です。この作品には藩についての絵画と詳細な何が加えられているでしょうか?

a.図表
b.年表
c.解説

津和野今昔」からの出題。
 周囲を山に囲まれた盆地に発展した津和野藩は、代々絵師を抱え、煎茶とともに藩内の名所や風俗を描かせ、藩士や客をもてなしました。14代当主の亀井茲常は、藩の御数奇屋番であった栗本里治(格斎)に依頼し、里治は3年8ヶ月をかけて津和野の名所や文化をスケッチし、詳細な解説を加えて「津和野百景図」としてまとめ上げました。

Q34.大阪府河内長野市は、都市近郊でありながら、市の七割が山林という自然とのかかわりが深い地域です。この市は、高野街道や河川の合流地点などもあり、たくさんの人が集い、中世文化遺産も多く残されている場所です。特に代表的な二つの寺院とは観心寺とどこでしょうか?

a.金剛寺
b.根来寺
c.四天王寺

中世に出逢えるまち」からの出題。
 河内長野市には、中世に隆盛した観心寺と金剛寺の2大寺院があります。街道沿いに位置する寺院の境内には、白壁と鮮やかに彩色された柱を持つ優雅な建物、そして漆黒の内陣に安置された金色の仏像が、中世から護り継がれています。寺院を中心とした谷の景観は、棚田が広がり、寺院が治めた里山風景を今も残しています。

Q35.2025年12月現在、認定されている「日本遺産」の数はいくつあるでしょうか?

a.103件
b.104件
c.105件

日本遺産そのものの問題。
2025年2月4日、文化庁より「古代日本の『西の都』」(福岡県)を日本遺産から外し、「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」(北海道)を新たに認定した旨が発表されています。

ここまで解いてくださった方

あとは「本番」だけです。ここまで解いてきてくれた方なら、十分合格できるはず

残っている時間で過去問を見たり、模擬問題を復習したりして、落ち着いて試験に臨んでください!

試験中にパソコンの充電が無くならないように充電しておいてくださいね笑。

それでは、おつかれさまでした~!

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いただいたご意見は、今後の記事改善や、問題作成に活かしていきます。

また、いただいた質問は後日まとめて “Q&Aページ” として公開する予定です。

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