初の日本遺産削除!!「西の都」はどんなとこ?

日本遺産

地域のストーリーを日本遺産として捉える
こんにちは、朝型旅人です!

この記事では「大宰府」に息づく歴史や文化、そこに込められた“物語”を、日本遺産の視点からわかりやすく紹介します。

読み終わるころには、ただの観光や知識ではなく、「大宰府」という地域の奥深い魅力にきっと惹きこまれているはずです。

観光地としての西の都

西の都といっても日本のどこか分からないと思います。そりゃあそう。
西の都っていうのは福岡県と佐賀県にまたがる大宰府周辺です。

まぁ有名どころといえば太宰府天満宮でしょう。
学問の神・菅原道真を祀るこの神社は、受験生などの間で大人気。

大宰府天満宮。合成を疑う美しさですよね。そりゃ受験生も縋りたくなりますね。

しかし、太宰府の魅力はそれだけじゃないんですよ。
この地には、奈良や京都に次ぐ“もう一つの都”として、大宰府政庁ってのがありました。現在は史跡公園として見学可能です。

ここは7世紀後半から、九州の政治・外交・軍事の中枢として機能したんですよ。
「西の都」と呼ぶにふさわしい場所だったんですね。

正直日本は”極東”、”東アジア”という認識なので、「西の都」は違和感ありますが笑。

福岡・佐賀自体はグルメが充実しているので観光地としての魅力はたんまり。
「西の都」は観光地としては超おすすめのところです。

記事本編を読む前に

実はこの「西の都」は、2025年に日本遺産から外れています。
2025年現在、日本遺産削除されているのはここだけ。

その背景も後ほど、しっかり触れていきます。
日本遺産としては削除されているということを前提にお楽しみください。

西の都の日本遺産ストーリー

太宰府市にある万葉歌碑。日本遺産の説明が少し切なく感じます…

まぁ削除されてはいますが、日本遺産だったときに認定されていたストーリーを紹介します。

日本遺産の登録名は「古代日本の『西の都』」。
その核にあったのは、太宰府の国際性とその文化です。

西の都は、大陸文化の玄関口・博多湾に近かったので、遣唐使や新羅使がよく訪れてたんです。
その影響をもろに受けて、古代中国と似たような都市が形成されていきました。

これがグローバルな交流の証として認められたんですね。

また、現代においても当時の面影を残していて、1300年前の西の都を体感できることも評価されていました。

しかぁし!2025年2月に認定が取り消されました。理由は主に2つ。

  • 構成団体間の連携がない
  • 一部の観光地にしか客が流れない(他への誘導力がない)

結局のところ、大宰府天満宮だけが強すぎて、他のところを訪れる人がいないってことですね。
…でも団体間の連携がなかったら「」で捉える日本遺産にはなりませんしね。

私なりに落としどころをつけるとしたらどこが良いか、考えてみました。
大宰府を世界遺産として申請、これです。理由は2つ。

  • 日本遺産は「」で遺産を捉えるけど、世界遺産は「」で捉える節がある
  • 文化遺産としてなら申請することが出来そう。登録基準ⅱとかで
  • 日本遺産には登録上限があるが、世界遺産はない

大宰府の一点集中化に拍車はかかる結果にはなりますが、団体間の連携は必要ないし、周辺地域は落ち着いた暮らしをすることができるのではないのでしょうか。

似ている世界遺産

月城地区にある月精橋。夜になるとライトアップされて、それも綺麗。

今回は似ている世界遺産というか、「これをモデルにして、西の都を作りました」の方が正しいですね。

私の考える似ている世界遺産は韓国・「慶州の歴史地区」です。
慶州の歴史地区の特徴は以下の通り。

  • 登録基準ⅱ、ⅲの文化遺産
  • 新羅の首都金城として栄えた
  • 仏教の聖地、南山地区が含まれている

西の都との共通点は、古代東アジアにおける国際交流の要衝ということ。

慶州は新羅の王都として政治・宗教の中心を担い、唐や日本とも外交関係を築きました。
同様に、太宰府も日本の西の玄関口として外交・文化交流の拠点となりましたね。

国外とのアクセスが可能なところはそりゃあ交流はしますよね。
日本とかの鎖国は別にして。

国際情勢と密接に関わりながら国家の中枢を支えたという点で、
慶州と太宰府は、古代における「文明の交差点」としての姿を今に伝えてるんですね。

まとめ

「西の都」大宰府は、かつて日本の西の玄関口として東アジアと密接に交流し、
政治・文化の拠点となった重要な地域です。

日本遺産から外れたからといって、その歴史的価値は揺るぎません。
なんなら、地域間の連携不足や観光誘導の課題は伸びしろとも捉えられますしね。

世界遺産としての可能性を探りながら、古代から続く国際交流の歴史を現代に生かす道を模索することが、今の西の都に必要なのかなと感じた次第です。

ここまでご覧いただきありがとうございました。またおいでくだされ。

タイトルとURLをコピーしました